30年後も変わらぬ強み すべては「ヤマヒロでよかった」のひと言のために

実の父である前社長から会社を引き継いで7年。お店のあり方や会社の組織化、そしてお客さまとの関係性など、「さまざまなことを一から見直していった」というヤマヒロ代表・山口寛士。でもその道のりは、言葉ほど平穏なものではありませんでした。

社内の猛反発や大量離職……。人情家で慕われた父の影に苦しみながらも、山口社長は大胆な組織改革を推し進めていきました。

ガソリン需要の変化やモビリティ革命 MaaSなど、SS業界の未来について伺った前編に続き、聞き手は山口さんの恩師でニトリホールディングスやナチュラルローソンの役員などを歴任してきた田岡敬さん(現在は日立グローバルライフソリューションズ執行役員)。

スタッフからの激しい反感や孤独と向き合いながら、あえてチャレンジングな改革を行ったワケとは?

「コンビニ」から「専門店」に 
お客さまとの信頼関係がプロをつくる

田岡 先ほど、ここ数年のヤマヒロの成長について伺いましたが、山口さんが社長に就任されてから、具体的に会社のどんな部分を変えていったのでしょうか?

山口 本当に一から、さまざまなことを見直していきました。たとえば店舗のつくり方。従来のガソリンスタンドでは、さまざまなサービスを全店舗で同じように提供するのが当たり前だったのですが、当然それだとお店や人によって得意不得意はあるし、何より一つひとつのサービスに対してどうしても散漫になってしまう。

また社員一人ひとりにプロとしてのプライドを持って仕事をしてほしかったので、まずは1つの店舗であれもこれも全部やる、ということをやめました。

そうして車検や板金、コーティングなどお店ごとに特色をつくっていき、さらには完全にそれぞれの業態に特化した店舗をつくっていく方針にシフトしました。

田岡 へえ〜、おもしろい! でも、その変革はなかなか勇気が要ることですよね。今までやってたことをやめるわけですから、お客さんだって離れていってしまうかもしれない。

山口 当初はやっぱり、売り上げもグッと落ち込みました。だから最初は「何でそんなことをするんだ!」って、社員からいちばん反発を食らいましたよ(笑)。でも徐々にお客さまの反応が変わって、スタッフそれぞれの仕事に対して満足してくれるようになっていったんです。

それと特化したサービスを行っていくのと同時に、アフターサービスの仕組みを導入していったんですが、そうするとお客さまとも顔なじみになって信頼関係も生まれてくる。 だんだんみんな、プロの顔つきに変わっていきました。

田岡 なるほど。コンビニのように多くの商材を扱う便利なショップから、信頼できるプロのいる専門店に変えていったわけですね。

山口 専門店化とアフターサービスについては、お客さまとの関係性が変わっていくなかで、副次的にお店の営業方針を考え直していく効果もありました。それまでだったら「ガソリン入れたら終わり」「洗車ししたら終わり」と、お客さまとの接点は一度きり。お店としてはその場でどうにか商材を販売する。顧客データベースを活用しきれておらず、お客様と長期的な関係を築くという視点が欠けていたんですね。従って、お客様は求めていないものを売り込まれ、こちらは求められていないものを売り込む。つまり、誰にとっても良くなかったんです。お店としてはその場でどうにか商材を営業しなくてはならず、お客さまにとっては求めていないものを売り込まれるので、誰にとっても良くなかった。

でも、車検や整備を任されていれば、出庫時に「今度の冬にはバッテリー交換したほうがいいですよ」など必要なアドバイスができて、しばらくして「その後バッテリーは大丈夫ですか?」と声をかければ、お客さまも覚えていてくれたことに悪い気はしないはずです。今では顧客データを元に、定期的にお取り引きをさせていただけるお客さまも増えました。

田岡 顧客データはどのように管理を?

山口 カメラの画像認識でお客さまの車を検知して、以前の来店時のデータから車検の時期であったり、バッテリーの状況であったりが、瞬時に算出されるシステムを使っています。

田岡 うわさには聞いていましたが、そんなにIT化が進んでいるんですね! 店舗のあり方や営業方針以外でも、大きく変えたところはありますか?

山口 「気合と根性」からの脱却ですね。父である前社長はすごく熱い人で、人情があって社員からも愛されていました。あのころは父が「やるぞ!」と喝を入れれば社員のやる気が燃え上がり、それで業績も上がっていたんです(笑)。でも残念ながら、私にはそんな芸当はできません。

山口 それと当時は、幹部が30人の店長の上に販売部長1人いるだけだったので、社員にキャリアアップの夢がなかったんです。実際販売部長1人だけではきちんと見れていませんでした。

だから、店づくりや販売体制を変え、会社を組織化してマネジメントしていくことが必要だと考えたのですが、それも当初は社員にまったく理解されませんでした(笑)。


田岡 スタッフを思ってのことだったのに、理解されなかったのは辛かったでしょうね。「気合と根性」から脱却するために、具体的にはどういった施策を?

山口 まずは、先ほどの話とも繋がるのですが、それまでのガソリンスタンドのイメージを払拭すべく、無茶な声かけをやめさせました。きちんと販売計画を立てて商品のチラシを配ったり……。とにかく「“お客さま本位”でないことはしないように」と指示を出したんです。

あとは、組織化を進めるためにも、1ヶ月ごと全店舗をまわりはじめました。

田岡 なるほど、その甲斐もあって今の組織図ができたというわけですね。

山口 いや、それが二つとも逆効果だったんです……(苦笑)。私もお店をまわっていて目についたことは遠慮なく言ってしまうし、何より大きな方向転換でしたから、社員に大きなストレスをかけることになってしまい、最終的には4か月で2割のスタッフが退職していきました。

田岡 2割も……!? なぜそんなことが。

山口 いちばんの原因は、コミュニケーション不足です。私は「みんなの未来のために会社を良くしていこう」と思って行動していたつもりでしたけど、その想いを社員に伝えることができていなかった。

ついには「今までうまくいってたのに」とか「社長は何考えているかわからない」という声まで聞こえてきてしまい……。

田岡 そこから立ち直るのは大変だったでしょうね。

山口 「もう店舗まわりもやめてしまおうか……」と悩んでいていたとき、全店長の集まる会議で直属の部下が聞いてくれたんです。「社長のお店まわりは辞めるべきか」と。

そのとき全店長が「続けてほしい」と言ってくれたんですよ。

田岡 え、でもスタッフが辞めてしまえば、店長たちは困りますよね?

山口 そうなんですよね。でもやっぱり「社長がお店を気にかけてくれるのは、きっと会社にとってプラスになるはずだから」と。

山口 それで「じゃあ何を変えてほしい?」と聞いたら、「社長の笑顔がほしいです」って(笑)。

田岡 あはは。よっぽど怖い顔してたんだろうねえ(笑)。

山口 はい、私も就任したばかりで気を張ってたんだと思います……(苦笑)。でも、笑顔がない事で、コミュニケーションが成り立っていなかったんですね。現場と接点を持つことは全店長肯定的だったので、それから全社集会などで経営計画書をプレゼンしたり、なるべくすべてのスタッフとコミュニケーションの機会を設けて自分の考えを社員に伝えることを徹底していったんです。もちろん笑顔は絶やさずに(笑)。

「今までの現場任せなやり方でも、3年はだいじょうぶ。でも10年後ガソリンの需要が変化したときに、この会社が持つかどうか……。だからこれからは数を増やすのではなく、一度でも来ていただいたお客さまをたいせつにして、その人にどうしたらまた来てもらえるかを考えよう。それがもともとの会社の理念でもある『顧客創造』『自他共栄』の実現にも繋がりますから」と。

利益やお金はいらない 
「ともに成長していくこと」が自分の使命

田岡 そうしたコミュニケーションを通じて、ようやく今の体制にたどり着いたのですね。逆に変えなかったことはありますか?

山口 両親ともに経営に関わっていたこともありますが、「家族的である」ということですね。ふたりして金銭トラブルを抱えた社員の家族を助けに地方まで出向いたり、そういう姿を見ていますから。

「社員の家族もあなたの家族だと思って経営しなさい」というのは母の教えで、それは今でも会社をやる上でいちばん大切にしていることです。

田岡 ヤマヒロでは、何か家族サービス的なイベントなども行ったりしているんですか?

山口 イベントではないですが、目標達成したときや評価がよかったときには、家族の方の目にも留まるようにハガキを書いています。

あと、私自身が新卒採用者への家庭訪問というのも行っていて、採用担当者と一緒に全国どこへでも伺います。ちなみに今まででいちばん遠かったのは奄美の喜界島。船が1日に3便しかなくて、嵐になったら社員の実家に泊まらせてもらうしかなくなってしまう、という(笑)。

田岡 ほかにヤマヒロのカルチャーや風土で大切にしておいることはありますか?


山口 スタッフ同士のリスペクトですね。ヤマヒロのような業態だと、どうしても店舗と本社で業務が大きく異なります。

たとえば、店舗ごと部門ごとに数値目標値はありますが、決して売り上げの大きいところが偉いわけではないし、本社も方針や企画を立てますが、もちろん偉いわけではなく、現場への感謝とリスペクトを忘れない。バックオフィスだって安心して働ける環境をつくってくれている。

お互いの仕事や努力を想像して、敬意を払いあうことを大事にしています。

田岡 なるほど。ここまで会社について伺ってきましたが、山口さんご自身の社長としての強みはどこにあると考えていますか?

山口 そうですねえ。強いて言えば、まだまだ成長意欲が自分の中にあることだと思います。「このままじゃだめだ」っていう気持ちが強くて。結局私は中小企業の社長に過ぎないので、目の前の事業だけやっていたら、外の世界から取り残されてしまうんです。

なので社長になってからも大学院に通って経営について学んだり、ほかの業界の方とも積極的にコミュニケーションをとって得た刺激や気づきを、柔軟に会社に取り入れたり。そういう部分は努力しています。

田岡 山口さんの成長意欲の元、そういった危機意識はどこから来ているものなのですか?

山口 やっぱり社長が成長しないと企業の成長も止まってしまうし、何よりも部下ががんばって会社が成長していく中で、社長はより一層がんばっている姿を見せるべきだと思うんですよ。

よくある話ですが、多くの会社で成長したスタッフがやめていってしまうのは、社長や幹部に一切成長が見られないからじゃないかと思っていて。

山口 …あと、成長意欲の話で言うと、やっぱり田岡さんのおかげで大学受験がうまくいったことは、だいぶ大きかったと思うんですよね。

田岡 えっ、そうなの?(笑)

山口 はい。実は私、小中高と受験に失敗していて、あのとき早稲田に合格してはじめて両親から褒められて、長年のコンプレックスが晴れた感じがあったんです。だから努力すれば成長できることや、その先に成功体験があることをみんなにも味わってほしい。

そのために自分が率先して努力をしつつ、社員の成長も願っていきたいと思っています。

田岡 ご自身が成長を続ける中で、最終的に目指している社長像のようなものはありますか?

山口 自分が社長になったとき、利益やお金のために仕事をすることに対して意味を見出せなくなって。じゃあ「自分はいったい何のためにいるのか?」って考えたら、それはきっとヤマヒロで長く働いてくれる人たちが、「この会社に入ってよかった」と思える環境をつくることだと思ったんです。

もちろんそのために会社としてある程度の収益化は必要ですけど、社員の生活水準を上げて、働いている時間も豊かにしていくこと。それこそが自分に課せられたいちばんの使命だと思っています。

田岡 本当にいい社長になられましたね。最後にヤマヒロを志望する学生へのメッセージをお願いします!

山口 スタッフ同士がお互いを思い合って、そしてその信頼関係がお客さまとの関係性にも結びついていって。そうした繋がりがライフタイムバリューのアップにも、未来の事業展開にも繋がっていく……。

たとえ20〜30年後にガソリンの需要が減ったとしても、そんなヤマヒロの強みは、きっと変わりません。就活をしていく中で、少しでもこの会社に対して「ここはほかの会社と何か違うぞ」と感じたら、ぜひ連絡をしてきてください。お会いできる日を楽しみにしています!

事業構想大学院内にて対談と撮影

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