株式会社Solinity・代表取締役/1999年入社 今田陽

201911月、ヤマヒロの子会社として株式会社Solinity(ソリニティ)が設立。
新社長に就任した今田さんは長年、整備士のプロフェッショナルとしてヤマヒロの技術面を支えてきました。

今田さん(以下(今))つなぎを着て車と向かい合っていた技術職から輸入車のディーラー業への転身。仕事内容はガラリと変わりました。いわゆる“裏方”からまさか社長になるとは露ほども思っておらず……私が一番驚いたんじゃないかと(笑)。

ヤマヒロには整備士として入社。

(今)とにかく車が好きで。自動車整備の専門学校を出てから整備をやってきて、腕には自信がありました。当時ガソリンスタンドでは珍しい「整備専門スタッフ募集」という呼び込みに惹かれ、ヤマヒロに入社したのが26歳。

ヤマヒロでのキャリアに、明確な目標はありましたか?

(今)そうですね。時代の流れとともに車がコンピューター化される中、「これからは整備士の腕次第ではなくなっていく。お客様と話ができないとダメだ」という先代の社長の見立てから、30歳は技術だけでなくコミュニケーション力も持ち合わせた整備士に、40歳は数店舗を束ねる店長になっていたい、と。将来像はいつも持っていました。

「ガソリンスタンドで車検する時代」の先駆けに。

(今)“ガソリンスタンド=給油”という従来のイメージを超え、ヤマヒロが目指したのは「自社工場を併設し、質の高い点検整備から車検まで車のメンテナンスを全て任せられる“サービスステーション”」。整備士にちゃんとスポットライトが当たり、ヤマヒロにとってなくてはならない存在になることを夢見ていました。

完成後、整備工場長を任された今田さんに、大きなチャレンジが。

(今)はい、私は確か34歳でした。整備工場長として、車の整備・修理を行う「認証工場」から車検まで行える「指定工場」への格上げという命を受けた。何しろヤマヒロとしても初めての試みで、情報も少ない。指定工場の運営について寝ずに勉強しながら国土交通省とやり取りし、1年半がかりでひとつ目の西府SSの指定工場化に成功した時は嬉しかった。昨日のことのように覚えています。           

整備への情熱はそのままに、仕事はマネジメント業務へと徐々にシフト。苦労したのはどんなところでしょうか。

(今)40歳のとき、現社長の就任にあわせて幹部に任命されました。“統轄”として労務やお金まわりを管理する幹部業と工場長をそこから約5年ほど兼任しました。1年半前、三鷹店の工場長を退いてからは体を使う仕事から頭を使う仕事にシフトしました。慣れるまでは大変でしたよ。今でもですが、人を動かすとは難しいことです。フロントスタッフと整備士の連携が取れている店舗はうまく廻り、お客様の支持を得る。職場環境を整えることは良いお店づくりの基本なわけです。

職場の人間関係はいつの時代も課題ですね。具体的にどのように取り組みましたか?

(今)実際、ヤマヒロの充実した研修制度には大いに助けられました。マネジメント研修で得た学びを実践しながら、スタッフとのコミュニケーションを大事にし、お互いの立場を理解しようとするスタッフづくり、彼らのモチベーションの維持と向上に力を入れました。社長や先輩の背中を見ながら日常的に学ぶことも多いです。私自身、スタッフに見本を見せられるような仕事の仕方を心がけています。 

印象に残るエピソードがあればぜひ教えてください。

(今)思い出深いのは管理者養成学校での2週間。御殿場の施設に缶詰になって、厳しい研修を今の社長や他の社員と一緒に受けました。必死の形相で、全力で取り組む社長の姿が今も目に焼き付いています。社長とは国内外を飛び回り、同じ釜の飯を食った仲。共に成長していると勝手に思っています(笑)。「自分には向いてない」「やったことがない」というハードルを乗り越え、入社当時には想像もしなかったキャリアを築いていると思います。

ソリニティ社長就任が20199月。以来、お仕事はいかがですか?

(今)大役を任されましたが、その責任とともに、同じヤマヒロで働くスタッフの夢と希望を背負っています。一番大事にしている人間関係は、ヤマヒロに入ってから教えられたもの。入社して3年目、一度だけ辞めようとした私のところに先代の社長がすっ飛んできて話をしてくれました。「人を大事にする会社だな」身をもってそう実感しました。社員のために自分はどうあるべきかを忘れることなく、新しい挑戦に取り組んでいきたいです。整備士魂は相変わらず。休みの日には知人の整備工場の手伝いに行かせてもらっています(笑)。

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